今泉賽の河原は十三湖を見下ろす高台に位置し、南北朝時代の大津波や室町時代の戦乱で亡くなった人を供養したのが始まりと伝えられます。中世には、今泉賽の河原が津軽半島での地蔵信仰の中心の地だったとされ「日本最古のイタコ発祥地」を自称しています。信仰の中心が川倉賽の河原に移ると衰退しましたが、明治時代初期に土中から木造の地蔵尊像が発掘され、改めて地蔵堂が再建され33体地蔵尊など随時境内が整備されました。平日は参拝者も少なく少し寂しい感じを受けますが、例祭である6月23日には興行などが行われ多くの参拝者が訪れます。